今回は日本道徳の価値を教えてくれる1冊をご紹介。(新渡戸稲造 著/ 矢内原忠雄 訳)
なんと時代は1899年(明治32年)125年前に彼が38歳で病気療養のためアメリカ滞在中に著述したもの。明治32年は日清戦争の4年後、日露戦争の5年前。時代の移り変わりの中、世界をわたりあるいた新渡戸稲造の視点から説明される武士道は世界の人々の反応や各国の文化も織り交ぜれ比較説明され、現代の私たちでも納得する部分が多くある。
【目次】
/道徳体系としての武士道
/武士道の淵源
/義
/勇
/仁
/礼
/誠
/名誉
/忠義
/ 武士教育における教科目
/克己(こっき)
/自殺および復仇の制度
/ 刀、武士の魂
/夫人の教育及び地位
まとめ
/道徳体系としての武士道
日本の封建制の武士道は口伝と僅かな格言しか残されていない。武家諸法度13箇条は婚姻、居城、徒党等、教育的規則は僅かであった。
/武士道の淵源
①仏教がもたらした4点の寄与
【運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危機災渦に直面してのストイック的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心】
剣道の達人は技の極意を教え終わった後にこんな言葉を残した。
「これ以上のことは指南の及ぶところではなく、禅の教えに譲らねばならない。」
「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する。」
⇨禅はサンスクリット語diyanaの日本語訳で瞑想の意味。
⇨瞑想の目的は、すべての現象の底に横たわる原理(道タオ)、絶対そのものを確知し、自己をばこの絶対と調和させる。この教えはいち教義(サンスクリット語dogma)以上のものであって、何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象から脱俗して「新しき天と地」とに覚醒するのである。
②神道により刻み込まれ豊かに広がった3点。
【主君に対する忠誠、祖先尊敬、親孝行。】
⚫️他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのもの。これにより武士の傲慢なる性格に服従性が賦与された。
⚫️神道の神学には「原罪」の教義がない。人の心の本来、善にして神のごとく清浄なることを信じる。
⚫️3種の神器の一つ「鏡」は人の心を表すもの。心が完全に平静かつ明澄なる時は神の御姿を写す。礼拝の行為は「汝自身を知れ」デルフォィ神託と同一に帰する。己を知るというのはギリシャにおいても日本においても、人間の身体的部分に関する知識を意味するのではない。この知識は道徳的性質の内省である。
⚫️自然崇拝、祖先崇拝。我々にとって国土とは、 金鉱を採掘したり、穀物を収穫したりする土地以上の意味を有する。国土は、神々、すなわち我々の祖先の霊の神聖なる棲所。
③孔子・孟子・王陽明
⚫️知識は実践躬行(じっせんきゅうこう)
「論語読みの論語知らず」
知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識となる。知識そのものは道徳的感情に従事するもの。人間ならびに宇宙は等しく霊的かつ道徳的であると思惟せられた。知行合一。
/義
武士の掟中最も厳格なる教訓。 卑劣なる行動、曲りたる振る舞いほど忌むべきものはない。
「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり。」
『義理』の本来の意味は義務。世俗の用語として、正義の道理となった。
「義」と「勇」は双生児であり、共に武徳である。
/勇
死に値せざることのために、死するは犬死にといや締められた。
勇気は、義のために行われるのでなければ、徳の中に教えられるにほとんど値しない。
「勇気が人の魂に宿れる姿は平静。」「平静は精神的状態における勇気である。」
真に勇敢なる人は常に沈着である。決して驚愕に襲われず、何者も生死の平静を乱さない。大事変の心中にありても、心の平静を保つ。
心の大なることの証拠。 屈託せず、混雑せず、さらに多くを入れる余地ある心、これを「余裕」と呼ぶ。常人には深刻な事柄も、勇者には遊戯に過ぎない。
-「敵の中の最も善きもの」
上杉謙信と武田信玄の14年間の戦いの最中のある出来事。北条氏は信玄の国の弱体化として、 必需品である塩の交易を禁じた。 謙信は信玄の窮状を聞き、書を寄せ北条氏の行いを「これ極めて卑劣なる行為なり、我の君と争うところは、弓矢にありて米塩にあらず、今より以後塩をわが国に取れ」としたためたのだ。
-「 汝の敵を誇りとすべし、敵の成功はまた、汝の成功なり」
武士道の心情を語っている。平時において友たるに値するもののみを、戦時における敵として持つべきことを要求する。勇がこの高さに達した時、それは「仁」に近づく。
/仁
古来最高の徳 【愛、寛容、同情、憐憫(れんびん)】
人の霊魂の属性最も高き者として認められた。
孔子も孟子、「仁とは人なり」人を治むる者の最高の必要条件は仁にあることを繰り返した。
人は柔和なら得であって、母のごとくである。「最も剛毅なるものは最も柔和なるものであり、愛あるものは勇敢なるものである。」これは普遍的真理。
-「 武士の情け」 愛は盲目的な衝動ではなく、正義に対して適当なる顧慮を払える愛である。
特に弱者、劣者、敗者に対するは武士にふさわしく徳として賞賛せられた。
-優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。
他人の感情を尊敬することから、謙譲、慇懃(いんぎん)の心は礼の根本をなす。
/礼
礼の最高形態はほとんど愛に接近する。
「礼は寛容にして、慈悲あり、妬まず、誇らず、昂ぶらず、非礼を行わず、己の理を求めず、憤らず、人の悪を思わず」
⚫️食事の作法は一つの学問にまで発達。
-茶湯は礼法以上のものであり、芸術である。
-茶を点じ飲むことは礼式にまで高められた。茶の湯の作法は 茶碗、茶杓、茶巾等を取り扱うに、一定の方式を定めている。それは退屈に見える。しかし、その方式が結局時間と労力と最も省くものであること、力の最も経済的なる、優美なる使用であることを発見する。
-茶の湯の要義たる心の平静、感情の明瞭、挙止の物静かさは、疑いもなく、直しき思索と正しき感情の第一要件である。 騒がしき群衆の姿、ならびに音響より遮せられたる小さき室の周到なる清らかさそれ自体が、人の思いを誘って俗世を脱しめる。1人の瞑想的隠遁者(千里利休)によって工夫せられたもの、作法の遊戯以上のものたるを示すに十分である。 茶の湯に列なる人々は、茶室の静寂境に入るに先立ち、彼らの刀とともに、戦場の凶暴、政治の顧慮を置き去って、室内に平和と友情を見出したのである。
⚫️礼儀作法は精神的規律の単なる外衣である。
-小笠原流宗家(小笠原清務)「 礼道の要は心を練るにあり。」
正しき作法を修むることで、人の身体のすべての部分および機能に完全なる秩序を生じ、身体と環境とが完く調和して肉体に対する精神の支配を表現するに至る。(ヨガ哲学との本質的 類似)
⚫️礼儀は道徳的訓練。 厳格なる礼儀の遵守に含まれている。
⚫️礼儀は優美なる同情の表現。
礼儀は、仁愛と謙遜の動機より発し、他人の感じに対する優しき感情によって動くものである。
例①自分が日傘をもっていても相手が覆うものがなければ、自分もささない。これはせめて君の苦痛を分つという同情。
例②贈り物をする時に軽んじ、卑しめる理由。
「君は善い方です、いかなる善きものも君にはふさわしくありません。この品物をば物自身の価値のゆえにではなく記として受け取ってください。最善の贈り物でも、君に適わしきほどに善いと呼ぶことは君の価値に対する侮辱であります。」
武士の教育は品性。美的のたしなみ
/誠
真実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり、芝居である。
武士は然諾を重んじた。二言すなわち二枚舌をば、死によって償たる多くの物語が伝わっている。 武士道の真実は果して、勇気以上の高き動機を持つ。虚言は罪として審かれず、単に弱さとして排斥せられた。弱さとして甚だ不名誉となされた。
/名誉
名誉の感覚は、人格の尊厳並びに価値の明白なる自覚を含む。
「廉恥心」 少年教育において、養成せられるべき最初の徳の1つであった。
/忠義
忠誠が至高の重要性を得たのは、武士的名誉の掟においてのみである。
武士道は、我々の良心を主君の奴隷とすべきことを要求しなかった。主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪相のたねに自己の良心を犠牲にする者に対しては、武士道は低き評価を与えた。
/ 武士教育における教科目
撃剣、弓術、柔術、馬術、槍術、兵法、書道、論理、文学及び歴史。
武士道の信奉者の間に行われなかったのは、あらゆる種類の仕事に対し報酬を与える現在の制度。 金銭なく価格なくしてのみなされえる仕事のあることを、武士道は信じた。僧侶の仕事、教師の仕事、霊的の勤労は、金銀を持って支払われるべきではなかった。価値がないからではない、評価しえざるが故であった。
自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。 武士が感情を表にするは男らしくないと考えられた。挙止沈着、精神平静であれば、いかなる種類の激情にも乱されない。 わが国民の笑いは、最もしばしば、逆境によって乱されしとき、心の平衡(バランス)をせんとする努力を隠す幕である。それは悲しみ、もしくは怒りの平衡錐である。
/自殺および復仇の制度
自殺は腹切り、仇討ちは敵討ちとして知られている。 特に身体のこの部分を選んで切る理由は、これを似て霊魂と愛情の宿るところとなす解剖学的信念に基づくのである。
⚫️各国の腹、腸の捉え方
モーセ「 ヨセフ、その弟のために腸(心)焚くるが如く」創世記43の30
ダビデ「 神がその腸(哀れみ)を忘れさらんことを祈り」詩篇25の6
イザヤ「 はらわたが鳴る」イザヤ書16の11
エレミヤ「腸がいたむ」エレミア記31の20
セム族「 肝、腎並びにその周囲にある脂を持って、感情及び生命の宿る所」と成した。
フランス語entrailles(腹部)は 愛情、憐憫の意味。
⚫️切腹の論理
「我は我が霊魂の座を開いて、君にその状態を見せよ。汚れているか清いか、君自らこれを見よ。」
-切腹は、法律上並びに法定の制度
武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、自己の誠実を証明する方法であった。
-感情の極度の冷静と態度の沈着となくしては何人も、これを実行するをえなかった。それは特に武士にふさわしくあった。
/ 刀、武士の魂
武士道は刀をその力と勇気の表徴と成した。 日本では多くの神社並びに多くの家庭において、刀を礼拝の対象として蔵している。
刀鍛冶は、単なる工人ではなく、霊感を受けたる芸術家であり、彼の職場は至聖所であった。
毎日、斎戒沐浴を持って工を始めた。「心魂気魄(しんこんきはく)を打って錬鉄鍛冶(れんてつたんや)」したのである。 厳粛なる宗教的行事であった。
武士道の究極の理想は、結局平和であったことを示している。
「負くるは勝」 真の勝利は、防滴に抵抗せざることに依存するを意味した。
「血を流さずして、勝つを持って、最上の勝利とす。」
/夫人の教育及び地位
-賞揚された婦人像。
「 女性の脆弱さより自己を解放して、最も強くかつ最も勇敢な男子に値するを剛毅朴訥(ごうきふとう)発揮したる。」
-女子が成年に達すると短刀(懐剣)が与えられ、自害の作法を知らぬは恥辱であった。
咽喉のどの点に正確に刺すか知らねばならぬ。帯紐で己を縛る。貞操は武士婦人の主要の徳。
-幼少の頃から自己否定を教えられた。一生、従属的奉仕。 娘としては父のために、妻としては音のために、母としてはこのために、女子は己を犠牲にした。自己否定は、男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。男子が主君の奴隷でないように、女子も奴隷ではない。夫が封建君主の奴隷でなかったと同様。
-女子の果たした役割は、内助すなわち(内助の助け)であった。
-我々は自分の妻をほめるのは自分自身の一部をほめるのだと考えられた。わが国民の間では自己賞賛は少なくとも悪趣味だと見なされている。
【まとめ】
人としてどう生きるのか。どう在るべきなのか。世界共通、人間共通の必要なる「道徳」の教え。それは宗教や歴史と密接に関わり、国民の平均的な性格、国の在り方を担っている。現代もなお世界的に有名な「侍」はクレイジーな腹切りだけでなく、そこには日本的な礼儀や作法があることをこの書は教えてくれている。
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