ハッピーバイブスな死


今回はメキシコの「死者の日」がテーマ。人生で誰もが体験する死を受け止めるという経験。これを読むと、死の概念がまるっきり変わるかもしれない。悲しみを断ち切りたい人は気持ちが少し軽くなれるかも。ディズニー映画COCOのモデルにもなっているオアハカシティに訪れてみたいと思っていた人へ実際に行ってみた雰囲気をお届けする。


<目次>

1.死が不幸では無いってどういうこと?

2.理由①故人とも繋がっている

3.理由②輪廻転生

4.日本との共通点

5.ハッピーバイブスで捉える「死」

6.「死」は最期ではない

まとめ



1.死が不幸では無いってどういうこと?

メキシコの死者の日を体験したら、死が不幸では無くなった。

【死が訪れるのは体だけ、魂は在りつづける。】この根幹のメキシコの考えをもとに死が不幸では無い2つの理由を詳しく述べていこう。



2.理由①故人と繋がっている

直接会ったことがない先人でも、その人の話をしているだけで繋がりを感じることが出来るとメキシコ人は当たり前のように話してくれた。メキシコといえば、カラフルな骸骨をイメージする人も多いのではないだろうか?顔を骸骨にメイクするのは死者と生きている人との境界をなくす為だ。死者の日は故人もみな家族のもとに集まる楽しい日なのだ。家族だけならず、どんな人でも一緒にというのがメキシコらしいオープンさと寛容さ。玄関先に祭壇が祀られている場合はどなたでもどうぞという意味でご挨拶することも可能。各々の家の敷地内にマリーゴールドで飾られた祭壇が登場する。写真とお供物とオブジェ。

    (必ずあるお供物は、故人の写真、パン、キャンドル、お花、お香、果物)



3.理由②輪廻転生

亡くなった瞬間から、新しいスタートに旅立ったと信じられている。それは人の体を乗り物、例えば「車」と考えていて、動かなくなったのは「車」であり魂は消えないのだ。西洋とくにクリスチャンの世界では存在しないこの概念は「輪廻転生」だ。メキシコはスペイン統治時代にキリスト教が広がり今も大多数がクリスチャンである。しかし実際のところはインディヘナ文化とクリスチャンが混ざった文化となっている。なのでキリスト教において本来ならば存在しない輪廻転生という考えは元々のメキシコ古来の文化からきている。

   


4.日本との共通点

ここまででお気づきの人もいるだろう。実は古来メキシコ文化には日本との共通点もかなり多くみられる。死者の日の祭壇のお供物やその意図までよく似ている。


死者の日/日本でいうお盆だ。故人もこの日は帰郷する。この点がハロウィンとは大きく異なる。

お香/日本では故人が帰ってくるお家(お墓)が分かるように匂いで家をお知らせする。

お供物/メキシコではな故人は生前に好きだったものの匂い(パンや果物など)の匂いを嗅いで家を判断すると考えられている。

アミニスム/自然界に霊魂が宿るとするアニミズムの思想。

メキシコのインディヘナ文化には生物・無機物を問わないもののにスピリットもしくは霊が宿っているという考えがある。

神道/万物には神が宿るとし、山、川、海、など自然に神を見出している。


5.ハッピーバイブスで捉える「死」

もしも、死が悲しいだけじゃないとしたら?もしも、町中がマリーゴールド色に染まり「ようこそ」とウェルカムムードに溢れかえっていたら?

自分が死者だったと想像しても、帰郷が楽しくなりそうではないだろうか。体はこの世からなくなっていても、家族は何世代も自分のことを思い出し話してくれる。写真を飾って、家族だけじゃなく世界中から訪れる人と楽しいムードを味わえる1日を送れるとしたら、それはハッピーバイブスだ。


まとめ

メキシコにおいて「死」は最期ではない。魂は生き続けている。

身近な人の最期を日本では「不幸があって」というが、メキシコでは「死」そのものを不幸とは捉えない。悲しまないわけではない、しかし死とは次への旅立ちへ向かうためのステップとして捉えることで「死」に固執しない。後悔や悲しみに打ちひしがれる執着を断ち切っているのだ。残されたものができることは送り出すこと。その送り出しは9日目のセレモニーとして今も広くメキシコで受け継がれている。

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一生に一度は是非訪れて参加してほしいお勧めのイベント。これから生きていくあなたにとって死の概念がまるっきり変わるとしたら?それこそメキシコだからこそのできる体験だ。

Adelante

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