メキシコ人ってどんな人たち?陽気なイメージはあるけど本当はどうなの?
その国の平均なる性格や特徴から、カルチャーがよく見えてくる。
今回は1年近くメキシコのオアハカにて彼らと一緒に暮らす中で学んだ実際の【7つのメキシコらしさ】をお届け。
<目次>
7つのメキシコらしさ
①いやらしさが無い
②誇り高き眼光
③「No」という単語がない
④「出来ない」を言わない
⑤伝家の宝刀「そのうちね」で泣き寝入り
⑥気持ちの嘘はつかない
⑦分け与える心の持ち主
まとめ
いやらしさが無い
メキシコ人は気が良い人が多い。性根が悪い、意地悪な人に出会うことは滅多にない。道を聞けば、丁寧に教えてくれて、分からずその場で立ち尽くしていると、携帯で調べてさらに情報をくれたりする。道で休んでいても見ず知らずの人が「大丈夫?」と話しかけてくれるのは日常のこと。そこに下心やセクシャルハラスメントなどを感じるいやらしい目線もない。
誇り高き眼光
メキシコのオアハカにはインディヘナ文化が色こく残る。身長は日本人と変わらないが、肌は朝黒く丸めな体格で骨太な印象だ。目に光がある。独特な輝き、意志の強さ、誇りを感じる。スペイン語以外に自分たちの言語を話して生活し、口承で文化が伝え続けられてきている。
「No」という単語がない
サポテコというオアハカの原住民族の言語には「No」が存在しない。断る時にNoと言わず、断る理由を述べるのだ。例えば、夕飯に誘われたが行かない場合。「家で奥さんがご飯を作り始めてる、子供も帰ってくるし、今日はとても疲れている」この説明はNoという意味だよ。納得して欲しいという具合だ。
「出来ない」を言わない
出来ないと分かっていても、出来ない。と伝えることを避けたがる傾向がある。例えば「急な頼まれごとで夕方までに急いで片付けて欲しい」に対して「いいよ。そのうちやっておくよ」と返答するが、この「いいよ」には引き受けた以上責任を果たさなければとの意思はない。やる気はないので当然出来ないと分かっていたとしてもNoを言わないのだ。Noを言うよりも「いいよ」と生返事しておく方が、取り敢えずその場が収まって良しとするのだ。ちなみにハッキリ「No」を言われると、顔面にゲンコツを喰らったように激しく不快に感じるらしい。Noの使い方にご用心。
伝家の宝刀「そのうちね」で泣き寝入り
出来なかった時の言い訳は?「時間もないし出来ないよ」と言うだろう。そんなことは引き受ける時点で分かっているんだから出来ないと明確なら、そもそも期待させなければ良いのにと感じるが、そうじゃない。頼み事をしている人も元々、無理そうだなと思いながら頼んでいるので「そうだよね無理だよね」で終わる。ここに引き受けた人の責任は存在しない。
これがかの有名な「 ahorita」(アオリータ)「そのうちね」だ。英語の直訳はright nowだが、このカルチャーを踏まえると英語とのギャップの激しい単語だ。「そのうちね」は一生、達成されないのが普通だ。
気持ちの嘘はつかない
同じ単語でも、気持ちがのっているかどうかでバリエーションがある。
客観的に見て「素敵だったよ」Guapo.
心の底から「素敵だったよ」Hermoso.
どのぐらい、どんな想いが乗せられているかで単語を使い分けている。単語を変えちゃったら本音かどうか分かってしまうじゃないいか。と思うかもしれないが、それで良いのだ。どちらにしても褒めているし、相手を喜ばせるために自分の気持ちに嘘をついたりしないのだ。どう感じるかはその人次第でよい。と言う距離感もメキシコらしい。
分け与える心の持ち主
彼らはケチとは真逆だ。「自分が多めに持っているなら、他の人にあげる。」これが身についている。そこに奪われたくない、自分だけのものにしておきたいという執着心はない。行商の人や仕事を探している人が訪ねてきたとき、コップ1杯の水を差し上げるのだ。
嫌な顔ひとつせず「暑かったでしょう。ご苦労様。」ここでもNoとは言わないので追い返すこともなく、頼まれれば少しのチップも渡す。私はそんなに必要じゃないけど、あなたはこの果物好きでしょうと多めに買ってきてくれたりする。この性格ゆえスペイン人をウェルカムで迎えたところ征服されてしまった。という説にも納得する。
まとめ
世界で有名なメキシコの歴史と実際に一緒に暮らしてみた彼らとではかなりのギャップが感じられる。歴史の教科書に載っていたとしても、その経緯を紐といて誰に何のために書かれた歴史だったのか。そこまで掘り下げると面白いものだ。メキシコの歴史や今も続くインディヘナの文化にはカルチャーとして途絶えさせないとする誇りがみられル。彼らの言葉で歴史を語ってもらう続編は→こちらでお届けする☆←
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